「ふくしま会議」に参加しました。 11月11日(金)全体会 11月12日(土)分科会 わかもの会議 11月13日(日)地域会 ■ 11日 全体会 13:30~17:00 福島大学の会場にはたくさんの人が参加しました。 ふくしま会議 共同代表 赤坂憲雄さんのコーディネートで いろんな人たちが、それぞれの想いを語りました。 ◎ 平成の新たな自治の流れを福島から起そう ~小さな流れが大きな流れになって社会が変わっていくだろう~ ・ 福島は自由民権運動の発祥の地。 ・会津の豪商、豪農もこれを支えた ・県会ができた最初の地も福島 ・震災を機に子どもたちが、日本や世界のあちこちに ⇒ この交流を活かして、フロンティアとしての活躍を期待したい ・他の地域からいろんな人が入ってくることで新たな力が生まれる ◎ 震災を機にいろんなものが崩れている ・ 農業だけでなく、生活や人生そのものが崩壊していく感がある ・社会的責任とはこんなものだったのだろうか! ・安全だと言いながら内部被曝。 心の被曝でもある。 ・放射能が心配でも残らざるを得ない。 国が育児放棄 ・孫に会えない、寂しい老後が待っている ・戦争が終わったときは希望があった。今は希望を持てない。 ◎ 伝えていくことが大切 ・ この地に残って発信していく役割がある ・ 牛300頭を殺処分しろと言われているが、被曝の証人として牛を残す ・ 市民一人ひとりの想いが本当に伝わっているのか? これは終わりではなく、始まりだ ・福島をなんとかしたいと思って、この地に留まっている。 福島を復旧、復興したいという真剣な想いを持っている学生たちがいる ⇒そういう若者に注目してもらいたい ・いろんな選択肢を持って取り組んでいくことが大切だと思う。 ◎新しい文化をつくりたい ・感謝の文化を世界に発信 ・効率主義で汚染された社会から、人間中心の社会に ・地域の命と暮らしと経済が一体となって循環する新しい社会を ・与えられる人から与える人へ ・想いをつなぎ命をつなぐこと ⇒産官民でつくりだそう! ・福島の負のイメージをひっくり返すことを真剣に考えることが大切 当日のUスト中継画像は以下です。 また、NHKエコチャンネルでも紹介されています。 「ふくしま会議とチェルノブイリの医師」 --------------------------------------------------------------------------------------------- ■11月12日分科会 「いのち 子どもの今、そして未来」 スペシャルゲストとして、チェルノブイリの汚染地帯で20年以上、産婦人科の医師として地域医療に取り組んできたジミナ・ナジェージダさんが参加しました。 ナジェージダ(愛称ナージャ)さんは、ベラルーシ共和国ゴメリ州ペトカ地区の地区病院で院長をしています。 ご自身の体験を通して、次のように述べておられます。 ◎ 放射能による健康への主な影響は、子ども甲状腺ガンの発症。 ![]() ・不安に感じ過ぎる必要はない ・食材に気を付けて内部被ばくを減らすこと ・ストレスを抱え込むことのほうがかえってリスクが大きい ◎ 行政も含めて、皆で取組みことが大切 ・食品の基準や測定などの体制や仕組みづくり ・ホールボディカウンターなどによる検査をまめにやる ・医療チームによる巡回などの健康フォロー NHKニュースでも取り上げています。 【動画】⇒ 「福島に伝えるチェルノブイリの経験」 NHKニュースおはよう日本 2011年11月14日放送 ------------------------------------------------------------------------------------------- ■ 12日分科会 「放射能と向き合う」 福島大学 清水正二 副学長のチェルノブイリ調査団報告 ◎ チェルノブイリと日本とは同じではない。 ① 地理的な違い ② 社会的な違い ③ 25年経っているウクライナ・ベラルーシと、今の日本とは違う ◎ベラルーシ、ウクライナ、基本的に除染はしない ・土地、農地が広大で除染しきれない ・費用対効果が折り合わず除染せず ・汚染物質の処理に困った ・肥沃な農地の表土が削り取られると困る ◎統治の仕組みが異なるから、強制的に避難させる ・土地は私有ではなく、住民は国有地から国有地に移動するだけ ・住宅の除染は「壊して埋める」 (住宅の資産価値も日本ほど高くなさそう) ・国土が広いから代替地はいくらでもある ・住民は新しい土地と住宅と仕事を与えられる ◎ 放射能影響の様相も異なる ・チェルノブイリは原発のタイプが異なり、炉心そのものが爆発 ・チェルノブイリは飛散した放射性物質の量も多く、種類も多様 ・日本は海藻などによるヨウ素の摂取量が2倍 ⇒ 放射性ヨウ素の吸収が少ない ・日本は避難が汚染の広がる前になされた ◎内部被ばくに対してはかなり気を使っている ・現在では学校ごとに食品検査器を置いて、住民が検査している ・ホールボディカウンターで子どもたちをフォローしている - ![]() ----------------------------------------------------- ★ チェルノブイリの最初の四年間の被曝限度の設定は以下の推移 1986年100mSv/y ➞ 1987年30mSv/y ➞ 1988・89年25mSv/y (聞き取り) ⇒ つまり、福島の許容線量の設定よりも、高い状態が続いていたと言える。 ★ 考察 ・ 空間線量は参考にならない。 問題はあくまで被曝線量 ・リスクの97%は内部被曝である※ ・内部被ばくの3%が呼吸から、97%は食物経由 ・したがって被曝線量はコントロールできる ※チェルノブイリ事故では、セシウムばかりでなくストロンチウムとプルトニウムもかなり出ており、 その点を考慮したリスク評価かもしれない ★身近な場所(学校)などで「自分で測って自分で納得」の仕組みをつくることが肝要 U-スト画像は以下です。 00:42:35 から、清水先生の「ベラルーシ・ウクライナ報告」です ------------------------------------------------------------------------------------- ※ 追記 チェルノブイリの25年後の今と、現在の福島とを対比してそのリスクを説く人たちがいますが、 チェルノブイリの事故後の2~3年間はソ連の支配下にあったので、なにがどうなっていたかは明確ではありません。 いわば、鉄のカーテンの向こうのブラックボックス状態に近かったと言えます。 ちなみにウクライナの食品放射能の現在の基準値が日本の基準値より低いことがよく知られていますが、 この値が設定されたのは、事故から8年以上経った1994年。 事故後の、 86、87年の二年間の設定は、ジャガイモが 3700Bq/kgなど、多くの品目が高い水準でした。 (今中哲二氏監修の1998年発刊の文献より) しかも、どれだけこの値が守られていたかも定かではありません。 情報を幅広く捉えることが大切だと思います。 ============================================================ いろいろと示唆に富んだ、素晴らしい「ふくしま会議」でした。 ■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□ |
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