------------------------------------------------ ① 相馬「おひさまカフェ」の進め方相談 ~相馬・大石さんと、開催場所の割烹「まる久」で打ち合わせ~ 【目的】 ◎避難所にいる女性たちに元気になっていただき、 今後の復興へのキッカケづくりにつなげていきたい。 ・避難所ではないところで、リラックスできる場を提供し、 これまでのことや現状の不安、これからの暮らしなどをおしゃべりすることで、 避難生活のストレスを減らしたい。また、これからの街づくりのヒントが出たら良い。 ・今後の継続的な活動や、相馬野馬追い、相馬盆踊りのような皆が一つとなれる行事に 繋がって行けるとよい。 ・最終的には、相馬地方の復興に向けたビジョンつくりに結び付けたい。 打合せ中の大石さんと「まる久」のご主人・佐久間さん 会場となる「まる久」の部屋 ![]() ![]() 【手段】 ![]() ・相馬市役所そばの大石さんの知人の料理屋さんをお借りして、 お茶とお茶菓子、そしておしゃべり、マッサージなどを提供します。 ・避難所や近隣におられる女性の皆さんに自由に来ていただく。 ・お子さんも一緒に来ていただければ良い。 ・5日間の開催で、一日30名x5回=のべ150名ぐらいを目安に考える (避難中の女性は推定1000名ぐらい?) ・相馬市の人たちが中心になって進めるが、県外からもサポートさせていただく。。 ※今回のトライアル結果を今後の活動に繋げていきます。 ⇒チラシをご参照ください。 ≪相馬地域の現状≫ ・漁師さんは先が見えない ~船の借金だけ残った、漁場はない、家もない、放射能汚染がどうなるか分からない ~どうしたら良いか分からない ・旅館、民宿、観光も難しい ・農作物だけでなく、果物もダメ ・飯館村の移動がはじまってお別れ会をやっている これまでに築いてきた一人の人生が潰される ~むご過ぎる!! ≪これからに向けて≫ ★「相馬野馬追い」や「相馬盆踊り」など 相馬の人たちの気持ちが一つになれることが必要。 ~県外なども含めてバラバラになってしまった人たちがツナガル場 ★「誇り」を持って生きたい! ・本来、原発の被害者なのに、加害者扱いされる ~プライドが傷つく。 ~放射性ガレキは浜通りのなかで処分するのが良いかも ・次の人生に踏み出せるきっかけを作りたい ・二宮尊徳の「御仕法」を実践した地 ~至誠・勤労・分度・推譲を原理とし、質素倹約を重んじる ・国から施しを受けるということではなく、自分で歩んでいきたい ~そのためにも顔の見える付き合いで一緒にやって行けると良い ・とにかく働く場が必要 ② 農家が抱える課題と今後について ~農業の小野田さん宅でこれからのことを相談~ ≪農家の現状≫ ・米は計画避難地域などの放射線量が高い田んぼでは作付禁止 ・野菜や果物についての制限はないが、売れるかどうかは別問題 ・風評被害もあるのでこれまでのようにはいかない ・トラクターやコンバインなど、借金は抱えているのに、収入がなくなる ~どうやって弁償してもらうかという話になる ≪小野田さんの想い≫ ・米を作ってもこれまでのようには売れない。 ~放射能がどうなるか田んぼ一枚だけ田植えしてみるが売る気はない ・イチゴや他の野菜にしても難しい ・入植してからこれまでの23年が、一瞬でなくなった! ・このまま南相馬にいても将来の見通しが全く立たない。 ・57歳からのやり直しはたいへんだが、他に移ったほうがまだましと思う。 ・同じようなコメ作りができる場所を他に探して、頑張るしかない ~他にも同じような取組みをしている人がいるところなら心強いし 一緒にやる励みになる ~新たな地で、後継者を育てたい。 ※埼玉県北部の小川町や日高町で候補となる土地がないか NPO「地域の力」田中さんのほうで調べることになりました。 良いところが見つかると良いですね。 皆で小野田さんのお話を伺いました 帰りには、おいしいお米を分けていただきました! ![]() ![]() ③ 南相馬ボランティア活動と今後 ~南相馬でボランティア活動をしている鴻巣さんとの情報交換~ ● 放射能に関する南相馬の意識 ・「屋内退避」⇒「自主避難」⇒「緊急時避難準備区域」と扱いが変化してきたが、 次第に軽くなってきていると考えている ・福島市よりも放射能は少ないという感覚 ・生活上の大きな支障はないと思うしかない ● 支援ボランティア活動の現状 ・避難所に畳を入れた。 静岡から畳の寄付を受け、避難所に敷いた ⇒ 体育館の床に比べて居心地が良いと感謝された ・県外からのトラックが南相馬に入らなくて困っている ~放射能のある地域に行ってきたと分かると配送に使えない ・ボランティア運営が社協主導になったので、個人のやる余地が減ってきた ⇒行政の縦割りではできないことを埋めるのが残った役割 ※ 南相馬市長の桜井さんとのパイプが最近できたので、動きやすくなることを期待してる ● 鴻巣さんが朝日新聞AERAの「原発と日本人」100人の証言に載りました。 原発近くの南相馬で尽力していること、相馬を元気にしたいという想いが語られています。 ![]() ● ボランティアの宿泊拠点をつくった ・社協内の宿泊がNGとなったので、 鹿島区にボランティア用施設設置…大型シェルター20張を入れた ・消防団の拠点を提供していただいた ・地元との協力関係が大切 大型シェルターが20張あります。 神社と公民館と消防団の脇に設置しました。 ![]() テントに見えますがとても大きいです。 中には畳も敷いてあって、7畳ぐらいの広さがあります。 この環境で宿泊費は、わずか100円です。(ただし、自動車と寝袋は必要です) 皆さん、ご利用ください。 運営は『南相馬桜援隊』 ブログを見てください。 ⇒ 『南相馬桜援隊』ベースキャンプ ● 市内で経済を回したい ・南相馬は良い街 ~桜が綺麗 ~雪が降らない ~夏は涼しい ~サーフィンのメッカ ・観光を活かしたい ~相馬野馬追い ・グリーン産業を起こしたい ~エコ、新エネルギーなど ---------------------------------- ④ 南相馬の現状と課題 ● 南相馬の生活 ・人口7万人に対して一時は2万人以下まで減ったが、今は4.5万人ぐらいに戻った。 ・職場が再開したので戻った人も多い ・市外での避難所生活より家を選ぶ人も多い ・物資もある程度入ってきたので、生活もできるようになった ・徒歩ではなく、自動車で移動することがほとんど ・夜はあまり人通りがない ・30km圏内はタクシーが営業できない。(介護タクシーと代行のみ) ● 南相馬の飲食店 ・食堂やレストランの開いているところが増えたが、20時か21時で終了 ・3月末ぐらいに店を再開した時は仕入れに仙台まで行っていたが今は大丈夫。 ・飲み屋で開いているのは2割程度。 お客は 1/3ぐらいのイメージ。地元の人とボランティアで、出張者がいない ・ボランティアの人たちはありがたいと思っている。 ・早く回復しないと店をやっていくのもたいへん ※県外の人もできるだけ飲食店も利用してください。 ![]() ● 南相馬のスーパー ・野菜、果物、肉、魚、なんでも手に入るようになった。 ・ドラッグストアーでもほとんどの品が購入できる ・車で買い物をできない人にとっては多少の不便さはある 品ぞろえも増え、価格も普通になったスーパー ![]() ● 南相馬の地元の人の言葉 ・最初はショックで何も考えられない。何をしていいか分からない …葬式をどうする …気持ちの整理もつかない (遺体が見つからない人はなおたいへん) ・船を無くし、家を無くし、家族を亡くし、借金だけが残った …なにかをやるにしてもまた金もない ⇒ せめて徳政令で銀行借金を棒引きにしてほしい ・直後よりずいぶん良くなったが、人には「良かったな」と言えない。 …自分よりひどい人もいるから何も言えない ・市内が「緊急時避難準備地域」と「計画避難区域」とに分かれている …悩みの大きさが違うので、辛い ● 避難所の生活 ◇原町第一小学校 ・人数が 50名→ 150名→ 120名に変化 ・震災の一週間前に落成した体育館で避難生活 ・食事は仕出し弁当(4月中旬から) ・風呂は近くのスーパー銭湯を利用出来る(バス送迎) ・管理要員として地元の人を臨時職員で雇用 (二ヶ月間) 体育館入り口付近には日用品が並んでいる この日は床屋さんボランティアも来てました ![]() ![]() ◇石神第一小学校 ・人数は 100名ほど (男性 2/3、女性 1/3) 年齢 4歳~92歳 ・30km圏内の学校は閉鎖しているので、児童はバスで圏外の小学校へ通学 ・教職員も圏外の学校へ異動して、そちらで授業をしている。 左側の校舎は閉鎖中。 右に見える体育館は避難所 ![]() ● 南相馬の産業をどうするかが最大の課題 ・小高に大きな工場があったが撤退 ・原発関連の仕事もなくなった ・パチンコ屋も一軒しか空いてない ・人も少なくなったから、全体的に経済が縮こまる ・とにかく先が見えない。 ・仮設もない、家もない、仕事もない とにかく仕事をつくりたいが、簡単ではない ・復興と言っても元には戻れない …10年、20年は戻らないと思う ------------------------------------- ⑤ その他情報収集 ◎これからの復興に向けてのヒント ・まずは物流 ~輸送が死んでいる。 だから消費も増えない ・次に風評被害をなんとかする ~野菜も果物も売れない ~業者も避けて通る ・教育現場の復興 ~教育は次への礎(いしずえ) きちんと学べる教室をつくる ホワイトボード、机・椅子、辞書、図書を集める ◎ 誇りをもつことが大切!! ・施しを受けていると、人はだめになる ・自分の力で生活の糧を得ることが大切 ・全面援助ではなく、部分的に支援する ・どうしたら良いかを聞いて支える ・働く場をつくる ・女性の労働力を活かす ・働くことが健康のもと ★可哀相ではなく立ち上がろう!! ★南相馬は被災を受けたところのモデルケースに!! ------------------------------- ◆ 山元町ボランティアセンター 山元町は、津波被害が大きかった割にボランティア活動のスタートが遅かったので まだまだボランティアのニーズがあります。 『山元町ボランティアセンターブログ』 山元町のボランティア活動は、『Band⇔Aid』という団体が支援しています。 BandAidは、宿泊拠点が宮城県角田市駅近くなので、交通の便がとても良いです。 ⇒ 『Band⇔Aidボランティア募集』 山元町ボランティアセンター Band⇔Aid 内藤さん(左から二人目)とボランティアの女性の皆さん (役場のすぐ傍です) (右端の中山は作業をしてなくてすいません) ![]() ![]() ということで、ボランティアの活躍の場はたくさんあります。 これからは、「緊急支援ステージ」から「復興ステージ」 継続して活動してまいりましょう!!! ■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□ |
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