・日程: 2011.3.29(火)~4.1(金) 4日間 ・参加者: 中山弘、佐野淳也、他5名
車2台の8人で、南相馬市のビジネスホテル(20~30km圏の真ん中:3泊)を拠点にして、支援物資配送の仕分けのボランティア活動をし、全滅している海岸部を訪ねた。その被害の大きさに衝撃を受けつつ、被災者、ボランティアセンター、NPO、災害対策本部、議員の方々の話をお聞きしながら、外部の人間に何ができるかを考えました。
① 福島市 県議会議員事務所 県議から福島の費被災状況、現状を聴き、ボランティア活動をしているスタッフの方々の話も伺って、意見交換した。
(県議からの聞き取り概要)
・原発はミサイルを撃ち込まれたような気持ちでいる。
・福島県全体への風評被害が大きい。
② 相馬市NPO「おひさまプロジェクト」大石代表とのミーティング相馬市、飯舘村をフィールドに地域づくりに取り組んでおられる
「おひさまプロジェクト」の大石ゆい子さんにいろいろとお話を伺いました。 ■南相馬の現状 ・人口7万人のうち、30㎞圏内の人はほとんど 避難して、残っているのは2万人。 ・でも2週間以上たって、戻ってきている人も多い。 ・足りないのはマンパワーだがボランティアが 南相馬には来たがらない ・災害で市のスタッフが半減し、目一杯。 細かいところまでは手が回らない ■これからの生活が不安 ・船はない、田畑は使えない、産業もない ・風評で会津まで影響 ・どうやって食べていくかが見えない ・どこから手を付けてよいか分からない ・瓦礫の撤去や後片付けが当面の仕事 ・2、3年は立ち直れない感じがする ③ 南相馬市でのボランティア活動![]()
社会福祉協議会の建物を拠点に、一人暮らしのお年寄り向けに、手分けして日用品や食品を配り、安否を確認する活動が行われている。 南相馬市は、屋内避難地域に指定されていて住むことは可能だが、お店がほとんど開いてない。物資も不足しており、高齢者は孤立している。330人ほどのお年寄りのところを、6班ほどに分かれて、2日か3日おきに手分して訪問する。 ここでの物資仕分けと配送同行のボランティア活動を行った。 物資はあまりなく、トイレットペーパー、歯ブラシなどの日用品と、
ボランティアセンターで一日一回、支援物資を配っているが、時間をしらなくてもらえない人が居た。
私の車に積んできた食料品を渡そうとしたら、 「私の他にも大変な人はたくさんいる。そちらに渡してください。」と言って受け取らなかった。 こちらの人たちの、温かくやさしい想いに胸を打たれました。 ④ 相馬ボランティアセンター 相馬市の被災状況、避難状況を聴き、意見交換した。
(聞き取り内容)
・仕事がない。田んぼも漁業もだめ。原発事故が憎い。 ・相馬港付近は甚大な津波の被害を受けた ・相馬までは支援物資が来るので、ものはある程度足りている。
・避難所では、授業を寺子屋スタイルで始めた。 ![]() ![]() ⑤南相馬市の農家 小野田さん 脱サラ23年、夫婦で土日もなく努力して10町歩の農場にまで大きくした。さあ、これからだ、というところで、原発の事故により一瞬にして奈落の底に突き落とされた。-この悔しさ、怒り、憤りの生の声を聴いた。機械化された近代的な設備や、地盤沈下で海水に浸かった農地(3町歩)も見せてもらった。
![]() ![]() ⑥ 全滅の海岸部: 南相馬市見渡す限り、一面、破壊されつくしている。
海岸から3~4kmの陸地まで、南北には5~6kmの広大なエリアが爆撃でもあったかのような惨状に・・・ 被害の大きさに、言葉を失い呆然となった。遺体捜索がまだ続けられており、大量の瓦礫が残っていた。 どこから手を付ければ良いのか、何をすれば良いのか、 自分たちにいったい何ができるのか・・・・まったく考えられず、頭の中が真っ白になりました。 ![]() ⑦ 飯舘村 災害対策本部 訪問した3月31日は、ちょうどIAEAが“飯舘村数値は、IAEA避難基準の2倍の値だ”と発表した日で、村の本部は、これをTVで知って騒然とする中への訪問となった。原発事故が引き起こした村の生々しい実態、突然の村の放射能汚染報道による怯えを、美しい村の風景とのコントラストの中で聴いた。
⑧ 南相馬の避難所 常駐の市の職員、避難者の方々の生の切実な声を聴き、避難生活の大変さの実態を見た。 ⑨ 南相馬のニーズ とにかく物資が足りない。 運送会社も福島市や相馬市までは配達するが、南相馬には入ってこない。 相馬市には豊富に物資があるので、南相馬市のボラセン職員に「相馬から譲ってもらえば良い」と言って電話をしてもらったが、 「非常食ばかりで、野菜が足りない。お年寄りの食事が偏って、 健康に心配がある。野菜を持ってきて欲しい!!」とのこと 1日の帰り際に野菜が運び込まれたが 普段は何とも思っていない普通の野菜が、 南相馬では、光輝くものすごい ご馳走に感じられた。 南相馬に行くまでは、「一度、現地に行って、どんな様子か見てみよう」というような気持だったが、 |
活動レポート >