【001】福島(南相馬・相馬・飯舘村)訪問-震災ボランティア活動/情報交換

2011/07/09 8:07 に Hiroshi Nakayama が投稿   [ 2018/11/12 4:30 に更新しました ]
 ・日程: 2011.3.29(火)~4.1(金) 4日間
 ・参加者: 中山弘、佐野淳也、他5名
 車2台の8人で、南相馬市のビジネスホテル(20~30km圏の真ん中:3泊)を拠点にして、支援物資配送の仕分けのボランティア活動をし、全滅している海岸部を訪ねた。その被害の大きさに衝撃を受けつつ、被災者、ボランティアセンター、NPO、災害対策本部、議員の方々の話をお聞きしながら、外部の人間に何ができるかを考えました。

① 福島市 県議会議員事務所

 県議から福島の費被災状況、現状を聴き、ボランティア活動をしているスタッフの方々の話も伺って、意見交換した。
 (県議からの聞き取り概要)
  ・原発はミサイルを撃ち込まれたような気持ちでいる。
  ・福島県全体への風評被害が大きい。

② 相馬市NPO「おひさまプロジェクト」大石代表とのミーティング

相馬市、飯舘村をフィールドに地域づくりに取り組んでおられる
 「おひさまプロジェクト」の大石ゆい子さんにいろいろとお話を伺いました。

■南相馬の現状

 ・人口7万人のうち、30㎞圏内の人はほとんど
  避難して、残っているのは2万人。
 ・でも2週間以上たって、戻ってきている人も多い。
 ・足りないのはマンパワーだがボランティアが
  南相馬には来たがらない
 ・災害で市のスタッフが半減し、目一杯。
  細かいところまでは手が回らない

■これからの生活が不安
 ・船はない、田畑は使えない、産業もない
 ・風評で会津まで影響
 ・どうやって食べていくかが見えない
 ・どこから手を付けてよいか分からない
 ・瓦礫の撤去や後片付けが当面の仕事
 ・2、3年は立ち直れない感じがする

③ 南相馬市でのボランティア活動

 社会福祉協議会の建物を拠点に、一人暮らしのお年寄り向けに、手分けして日用品や食品を配り、安否を確認する活動が行われている。

南相馬市は、屋内避難地域に指定されていて住むことは可能だが、お店がほとんど開いてない。物資も不足しており、高齢者は孤立している。330人ほどのお年寄りのところを、6班ほどに分かれて、2日か3日おきに手分して訪問する。

ここでの物資仕分けと配送同行のボランティア活動を行った。

物資はあまりなく、トイレットペーパー、歯ブラシなどの日用品と、
カップラーメンや缶詰などの保存食がそのほとんど。

最初は雑然と床に置いてあった支援物資を、品目ごといに仕分けして保管するようにしました。
 
ボランティアセンターで一日一回、支援物資を配っているが、時間をしらなくてもらえない人が居た。
私の車に積んできた食料品を渡そうとしたら、
「私の他にも大変な人はたくさんいる。そちらに渡してください。」と言って受け取らなかった。
こちらの人たちの、温かくやさしい想いに胸を打たれました。

④ 相馬ボランティアセンター
 相馬市の被災状況、避難状況を聴き、意見交換した。
 (聞き取り内容) 
  ・仕事がない。田んぼも漁業もだめ。原発事故が憎い。
  ・相馬港付近は甚大な津波の被害を受けた
  ・相馬までは支援物資が来るので、ものはある程度足りている。
  ・避難所では、授業を寺子屋スタイルで始めた。









⑤南相馬市の農家 小野田さん

 脱サラ23年、夫婦で土日もなく努力して10町歩の農場にまで大きくした。さあ、これからだ、というところで、原発の事故により一瞬にして奈落の底に突き落とされた。-この悔しさ、怒り、憤りの生の声を聴いた。機械化された近代的な設備や、地盤沈下で海水に浸かった農地(3町歩)も見せてもらった。


⑥ 全滅の海岸部: 南相馬市

見渡す限り、一面、破壊されつくしている。
海岸から3~4kmの陸地まで、南北には5~6kmの広大なエリアが爆撃でもあったかのような惨状に・・・ 
被害の大きさに、言葉を失い呆然となった。遺体捜索がまだ続けられており、大量の瓦礫が残っていた。

どこから手を付ければ良いのか、何をすれば良いのか、
自分たちにいったい何ができるのか・・・・まったく考えられず、頭の中が真っ白になりました。


⑦ 飯舘村 災害対策本部

 訪問した3月31日は、ちょうどIAEAが“飯舘村数値は、IAEA避難基準の2倍の値だ”と発表した日で、村の本部は、これをTVで知って騒然とする中への訪問となった。原発事故が引き起こした村の生々しい実態、突然の村の放射能汚染報道による怯えを、美しい村の風景とのコントラストの中で聴いた。

⑧ 南相馬の避難所

 常駐の市の職員、避難者の方々の生の切実な声を聴き、避難生活の大変さの実態を見た。

⑨ 南相馬のニーズ

 とにかく物資が足りない。
 運送会社も福島市や相馬市までは配達するが、南相馬には入ってこない。

 相馬市には豊富に物資があるので、南相馬市のボラセン職員に「相馬から譲ってもらえば良い」と言って電話をしてもらったが、
 「南相馬市役所と相馬市役所との話がつかない。行政の連携は簡単にはいかない。」ようで、うまく行かなかった。

 ボランティアのみんなに聞いたら、   
 「非常食ばかりで、野菜が足りない。お年寄りの食事が偏って、
  健康に心配がある。野菜を持ってきて欲しい!!」とのこと

 1日の帰り際に野菜が運び込まれたが
 普段は何とも思っていない普通の野菜が、
 南相馬では、光輝くものすごい ご馳走に感じられた。
 ・・・初めての経験だった。


 南相馬に行くまでは、「一度、現地に行って、どんな様子か見てみよう」というような気持だったが、
津波の爪痕の惨状、屋内退避で自由に暮らせない現状、・・・そういうなかで、自ら被災しながらも健気に働く地元のボランティア。

このまま、「ありがとうございました。頑張ってください。」では済まない。
復興に向けて一緒に取り組んで行こうと心に決めた訪問となった。

そこで、さっそく埼玉で野菜を調達して、翌週 届けることにしました。

⇒ 【003】4月6日に南相馬のボランティアセンターに野菜を届けました。